はじめに

J. von Neumannが自己増殖するマシンの構想を明らかにしてから半世紀 が経過した.生命それ自体,あるいは生命に関わる現象の普遍的な性 質を計算機などのメディア上での再構成を通じて明らかにしようとする研究は, それ以来,さまざまな形で続けられてきた.そして,10数年前に,「人工生命」と いう名前を与えられた新しい研究の潮流が,C. Langtonを中心とするさまざまな 領域の研究者たちによって形成された.そして, 今日,人工生命研究に多かれ少なかれ関連する国際会議が 数多く開催されるようになり,人工生命研究の専門誌も刊行されている. 国内でも,特に1996年に奈良で第5回人工生命国際会議が開かれた時期の前後に マスメディア等でも広く取り上げられ,一般の認知度も一気に高まった. それは単に一般のブームや流行であっただけではなく,徐々にアカデミックの 領域でも認知されるようになり,さまざまな国内の学会においても, シンポジウムや学会誌の特集などの形で取り上げられるようになった. また,論文投稿の際に参考にするジャンル表などの類においても,人工生命, あるいはそれに強く関連するキーワードが頻繁に見かけることができるように なってきた.

その一方で,人工生命という研究領域の全体像は明確であるとは言い難いと思 われる.実際,人工生命という名の下に,計算機科学者,工学者,生物学 者,数学者,物理学者,化学者,哲学者,言語学者,経済学者, アーティストらが,それぞれの領域において,共通の問題意識は持ちながらも, 基本的には独自のモチベーションに基づいて研究を行ってきた.一方,一般の マスメディアにおいては,人工生命という言葉は,単に字面上の意味だけを 意識して比較的気軽に用いられているような印象を受ける.人工生命の研究領域 の全体像が明確になっていない理由として,新しい研究の潮流が形作られて からまだ10年余りしか経過しておらず,若くて成熟していないという面を反映 しているということや,人工生命という言葉自体がさまざまなイメージを持たれ やすい性質を持っているということが考えられる.しかし,理由はそれだけでは ないであろう.支配的な理由は,人工生命が,従来のような縦割りの 学問領域におけるある一分野に付けられたラベルというよりは,むしろ,生命性に対する指向を保ちながら, ダイナミックに変動し続けるさまざまなシステムの本質を理解するための 有力な方法論やスタンスを提供するという面を一義的な意味として含んでおり, したがって,必然的に多様な研究領域を横断的に連結してきたためでは ないだろうか? しかも,ここで言うダイナミックに変動するという点に関しては, 必ずしも,研究対象とするシステムの変動が 実時間で,しかも,目に見えるものに限定するということではない.計算機ハードウェアの技術の進歩や 計算機科学の成果によって,時間的にも空間的にも,ミクロな視点やマクロな 視点を自在に持つことが可能となってきており,このことは,人工生命研究の 発展において大きな役割を果たしている.

本書では,人工生命に関わる研究のさまざまな領域での発展傾向に可能な 限り焦点を合わせて研究領域の全体像を明らかにしながら,同時に,人工生 命的な方法論やスタンスを把握して,複雑なシステムの本質に対する 理解のしかたを徐々に浮き彫りにしていきたいと考える. その際,人工生命の研究領域がどのように構成され,また核となっている部分が どこにあるかという認識によって,描かれる研究の全体像は大 きく変わってくると言えよう.たとえば,実用化を重視する立場 ならば,人工生命研究の第1段階として, 生命現象からの普遍的なメカニズムの抽出,第2段階として,第1段階で得られた 知見の工学的な分野への応用(最適化や学習などのアルゴリズム,ロボティクス, グラフィクス,エンターテインメントなど)というようにその姿 を理解することができよう.実際,そのような人工生命研究の説明が少なからず なされてきた.本書の基本的な姿勢は,そのような見地とはやや異なり, von Neumann以来問われ続けてきた「生命現象の計算論的な本質とは何か?」という 素朴で,かつ普遍的なテーマを人工生命研究の中心に位置付け,その生物学的な 領域のまわりに,社会学的な領域,言語学的な領域,経済学的な領域,あるいは, 物理学的な領域,化学的な領域など,同様なスタンスでシステムの動態が 理解可能と考えられる領域が接続されていると考える.そして,それらの各領域から 応用の領域が自然に派生していくとみなすことにする.このような見方は,最近の 人工生命研究の動向からも妥当なものであると思われる.

本書を構成していくにあたって,特に留意した点をまとめると次の4点になる.

  1. 「人工生命=生命現象の探求+応用システムの開発」という図式にとどまらず,生命現象に独特な性質や挙動がさまざまな複雑なシステムにおいて成立しているという前提に基づいた人工生命研究の進展をフォローする.
  2. 人工生命研究の全体像の把握や今後の人工生命研究の展開にとって重要と考えられる研究事例を,一般的な認知度や評価に関わらずに積極的に選択し紹介する.
  3. 人工生命は学際的な研究領域であり,さまざまな領域の研究者に対して,新しい研究の方法論や立場を提示しうると考えられるので,各章の冒頭で基本的な事項に関しても可能な限り説明を加える.
  4. アルゴリズム,研究事例,人工生命モデル構成用環境などについて論ずる場合には,なるべく具体的なデータや体験に基づいた記述をして,可能ならば,計算機を用いた実験やシミュレーションを行う.

1に関しては,すでに述べたような意味における人工生命の全体像の把握を 意図したものである.2, 3, 4に関しては,理解のしやす さのためには望ましいことであるというだけでなく,読者の方が実際に 本書が示すような人工生命研究の方法論を用いた研究を今後行っていく際に, 何らかの参考になってくれたらという著者の願いに基づくものである.

本書の構成は以下の通りである.第1章では,人工生命研究の流れを簡単に振 り返ってから,人工生命研究をめぐる根本的なテーマや思想的背景について論 ずる.第2章では,自然選択に基づいた適応進化の基本的アイディアを簡単に 説明した上で,人工生命モデルにおいて進化メカニズムを実現するフレーム ワークとなるいくつかのアルゴリズ ムについて述べる.第3章では,50年前のvon Neumannの研究などの古典的研 究から,Langtonの研究に至る道筋を追い,人工生命研究の中核部分の方向性 を明らかにする.また,その研究アプローチの現在の動向もフォローする.

第4章から第6章は,人工生命研究が活発に行われている分野から3分野を選び, 意義深い研究事例に関して,その内容を詳細に検討する.第4章では, 生命の起源や進化に関する人工生命モデルを取り上げる.従来の生物学と基本 的にはその研究目的が一致する部分が多いが,議論の抽象度や手法が 大きく異なるユニー クな研究が多い.第5章では,生物における社会性の起源や進化を探求する人 工生命モデルを取上げる.ゲーム論的状況設定に基づいた研究におい て,意義のある成果が多く生み出されている.第6章では,言語の起源と進 化に関する人工生命モデルを取り上げる.言語の起源や進化というテーマは, タブー視されることもあるほど難解なテーマであるが,言語に関わる現象を創 発現象ととらえる人工生命的なスタンスによって,新しい切り口が可能と なってきている面に着目する.

第7章では,人工生命モデルを構成し,シミュレーション実験や解析をサポー トする計算機環境について述べる.自己複製するプログラムに対象を限定した 人工生命ソフトウェアAvida,比較的小規模でやや限定された分散型システム のモデリング用言語StarLogo,そして,本格的な複雑システムを対象とした モデル構築をサポートするSwarmの3つを取り上げる.最後に,本書をまとめ, 今後の展望を述べる.

本書の内容は,筆者が属する名古屋大学における, 1) 人間情報学研究科の物質・生命情報学 専攻の大学院生,2) 大学院人間情報学研究科の社会情報学専攻の大学院生, 3) 情報文化学部3年生,4) 工学部1年生,を対象としてそれぞれ行なってき た「人工生命論」,「認知情報論特論」,「創発システム論」,「数理解析と コンピュータ」の講義の経験に基づいている部分が少なくない.そのような講義の経験を踏まえて, 本書を大学の学部や大学院の講義用の教科書として用いた場合の講義プランを 4つ示すことにする.

人工生命の概論 (学部理系,大学院理系/文系)
 第1章から第6章までそのエッセンスを概説する.第2章に重点を置くことも考えられる.ただし,第4章の理解には,計算機構造に関する基本的な概念を必要とするので,対象学生にその知識がない場合は,1,2回分の講義をその説明にあてる必要がある.
人工生命の理論 (大学院理系)
 基本的には1)と同様であるが,第1章,及び,第5章以降には,あまり深入りしない.第3章からは,研究の流れに従い,場合によっては原論文を参照しながら,研究のモチベーションも含めて明らかにしていく.その際,セルオートマトン,囚人のジレンマゲーム,自己複製モデルなど,インターネット上に公開されているソフトウェアを用いた実習や,可能ならばプログラミング実習を行うと効果的である.
言語の起源/進化に関する人工生命(複雑系)アプローチ (大学院文系)
 6.1と6.2に基づいて,動物のコミュニケーション,及び,人間の言語の起源や進化に関する従来の研究成果を概説する.次に,第1章と第2章のエッセンスを論じて,人工生命アプローチの立場や研究手法の基本を示した後,6.3-6.5などの研究事例を紹介して,今後の可能性を示す.
複雑系の科学に関する序論 (学部理系/文系)
 ミクロなレベルの要素間の相互作用から創発するマクロな挙動という観点から,さまざまな動的システムを理解するアプローチに関して,イントロダクション的な講義を行う.最初に,1.4に基づいて「創発現象」に関して論じてから,第2章,第3章,第5章,第6章などの範囲から適当な題材を選び,創発性に着目しながら概説していく.

本書の一部は,Charles E. Taylor,中野馨,川口喜三男,横井茂樹,小鹿明徳, 小山祐司,永川成基,鈴木麗璽,北野純の各氏との共同研究の成果に基づいて 書かれている. また,第1章の心身問題に関して戸田山和久,第2章の自然選択に関して石井一成, 第3章の自己複製モデルに関して佐山弘樹の各氏にご教示をいただいた. さらに,本書で取り上げた人工生命モデルの研究者の多くの方々には個人的に質問に 答えていただいたり,アドバイスをいただいたりした.これらのすべての方々に深い 感謝の意を表したい.また,小鹿明徳,高林裕一,鈴木麗璽,北野純の各氏に は,編集上の手助けをしていただいた.感謝する.


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