PC学習システムは、ハードウェアとして、100余台のノート型パーソナルコンピュータ(アップル社製PowerBook)とレーザプリンタ、ソフトウェアとして、統合型ソフトウェアと発想支援プロセッサなどから構成されている.PC学習システムは、主に、本学部の1年生が講義や自習時に計算機室内で利用するものである.各パーソナルコンピュータは使用者と対応づけられており継続的に使用することができるので、各自が自分に適したパーソナルな環境を構築することができる.こうした利用形態は他に例がなく、パーソナルな利用のための運用規定が新たに作成されており、在宅学習も試行されている.
PCマルチメディアシステムは、マルチメディア対応型パーソナルコンピュータ(アップル社製QuadraAV)とサーバワークステーション(サンマイクロシステム社製SparcStation10、ヒューレットパッカード社製HP712)を中心に、各種の入出力装置などの数十台の周辺機器群より構成されている.周辺機器の代表的なものをあげると、静止画像関連では、カラーイメージスキャナ、35mmフィルム入出力機器、カラープリンタ、レーザプリンタなど、動画像関連では、8mmビデオカメラ/デッキ、S-VHSビデオデッキなど、外部記憶関連では、光磁気ディスクドライブ、リムーバブルディスクなど、さらに計算機室内での講義用にプロジェクタ、スクリーン、ワイヤレスマイク、アンプ、モニタなどが設置されており、また学内LANとの接続機器も装備されている.PCマルチメディアシステムはマルチメディア教育のみならず、広く、授業や授業用教材の作成に利用されることを目的としている.
コンパクトAVシステムは液晶プロジェクタ、スクリーン、VHSビデオ、AV制御アンプ、スピーカなどから構成され、可動式ワゴンに収まっている.研究・教育効果を高めるための視聴覚機器として講義室などで利用されることを目的としている.
「プログラミング序論」は栗本英和先生と私が担当しており、情報文化学部の社会情報システム学科と自然情報システム学科の両学科の1年生、さらに開放科目として他学部からの受講生も受け入れている.単位認定に関しては担当は分かれているが、講義の実施に関しては、両学科の今後の連携や一貫性を考慮して、栗本先生と密接な連携をとりながら行っている.「プログラミング序論」の扱う内容は、1) 情報処理教育センターの情報科学教育コンピュータシステムや本学部の学習用情報システムを利用した情報リテラシー教育、2) 基本的なFortranプログラミングの2つである.情報処理教育センターの端末室を利用させていただいた経験から学ぶべきことや反省すべきことも多々あったが、以降では、1)の中の学習用情報システムを利用した情報リテラシー教育に関して述べる. 「プログラミング序論」の講義では、まったくの初心者を想定し、パーソナルコンピュータの扱い方から始まり、日本語入力、ワードプロセッサ、作図ソフトの使いかたへと進めていった.しかし、システムが必ずしも順調に稼働しなかったことや私の未熟さもあり、学生の学習はあまり順調には進まなかった.たとえば、いちばん最初にパーソナルコンピュータの電源を入れさせるだけでも、スイッチの場所に迷う学生が出たりするなどして、5分以上も手間取るありさまであった.日本語入力やワードプロセッサなどでも、なるべくわかりやすい教材をと苦労して作成しても、学生にとって理解しにくい部分が生じてしまい、講義がスムーズに行えない場面があった.
講義を通して常に感じたことは、いわゆる文系的な学生と理系的な学生が渾然となっていることが講義を行う側にとってのかなりの障壁になりうるということである.学生の興味や知識がかなり広範囲にわたっているので、たとえば、ある学生にとってごく当たり前の技術的用語でも別の学生にとっては少なくない説明を要するわけである.したがって、あることを説明したり、ある課題を実行させたりしているときでも、比較的時間を持て余している学生もいれば、時間が足りなくて困っている学生もいるといるということになる.もちろん、このようなことは教える側にとってはいつでも直面する普遍的問題ではあるが、特に本学部では学生の知的なスペクトル領域がきわめて広いということを実感した.
スキャナからの写真入力とプリントアウトは、PCマルチメディアシステムを使用しており、学生一人が占有してしまうためにかなりの時間が必要となり、それぞれ予備日も含めて3日間ずつを設定した.多少の混乱はあったが、SIS技術部門の箕浦昌之、三成雅子の両技術補佐員の協力もあって比較的順調に行うことができた.
さて9月にレポートを集めたところ課題を与えた全員が提出した.そして、それこそ思う存分自由自在に自分を表現していることに驚きを禁じ得なかった.たとえば、新聞の体裁をとって自分自身にインタビューしている形式をとっているもの、自分の描いた油絵を取り込んでいるもの、犯人(自分)の指名手配のビラ風にしているもの、自分の尊敬する思想家を画面全体で表現しているもの、自分が興味をもっているものを克明に記しているもの、自分と飼っている犬の顔の部分だけ入れ替えたもの、日記風につづっているもの、...などそれこそ十人十色であった(このように文章で表してみても、彼らの表現力とでもいうべきものはなかなか理解はしていただけないかもしれない).
ただし、「プログラミング序論」で実施している内容のうち夏休みの課題に至るまでの、パーソナルコンピュータの基本的な使いかたの部分に関しては、本来は中学や高校で教えるべきものではないかということも一面では感じる.いずれにせよ、近い将来にはそうなるであろう.そのとき、つまり基本的な情報リテラシーを収得している学生に対して大学では何を教えるべきなのかということは大きな問題であると思われる.芸術的な面、あるいは感性とでもいうべきものを、情報機器を用いてどのように処理し、表現し、あるいは創造するかということは、ひとつの大きなテーマであろう.